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明日 風になろう

地味で真面目で、時々おいしそうだなあって思われたいブログです。

遠く遠く離れ行くエボシライン♪

昨日は土曜出社。
午前中は都内は土砂降りで、うんざりしながら外回りしてたのだが、午後になって雨も上がり、少しは仕事らしい動きもできて夕方に帰宅の途についた。

土曜日は朝は電車も空いているのだけど、帰りは家族連れが多くほとんど席があくことはない。なのだが昨日は珍しく横浜駅でどっと人が降り、僕の前の席もガバっと空いたので久しぶりに座って地元駅へ向かった。

だがうっかりしていたのだが、僕が乗ったのは「アクティ」という快速電車で、降りるべき辻堂駅は通過してしまうのだ。僕はうつらうつらしながら電車の揺れに身を任せていて、そのことに全然気づかないまま一つ手前の藤沢駅を出たところで目を覚まし、「ちょうどいいタイミングで起きたじゃないか♪」と間抜けに喜んでいたら、電車は全く減速もせずに辻堂駅を通過し、唖然としながらようやく乗っている電車が「アクティ」であることに気づくという、何とも残念な行動…。

降りたのは茅ヶ崎駅。
なんだかとても久しぶりだ。
離婚前、前の会社に努めていた頃は通勤の起点の駅だったけど、今の住所に引っ越してからはほとんど降りたことがない。

やれやれとため息をつきつつ、反対車線の電車を待とうと歩いていたら、耳にとても懐かしい音楽が聞こえてきた。
それはサザンの「希望の轍」のサビ。

そうか、変わってたんだと立ち止まる。
そう、茅ヶ崎駅の発車メロディーはこの10月から「希望の轍」に変更されたのだ。
以前の記事にも書いたが、自分で聞きに来たのは昨日が初めてだったのだ。

初めて聞いた「希望の轍」の発車メロディー、率直に言って「すごく良い」と思った。
かなり細かい音まで忠実に再現されていて、発車メロディーなのに最後までしっかりと聞いてしまう。
僕はこの曲にとても個人的な思い入れがあることもあり、「えぼし岩」が見える茅ヶ崎の海岸が自然に目に浮かび、ちょっと感動して目が潤んでしまいドギマギとしてしまった。

しばらくしたら反対側の上りの電車が入ってくる。
僕は辻堂駅へ向かうその電車に乗り込み、すぐに今度は上り用の発車メロディーが流れる。上りは同じ「希望の轍」のイントロだ。これまた細かいところまでキレイに再現されていて、またウルッとくる(T_T)



すっかり暗くなった夕方の茅ヶ崎駅で、ひとり目に涙を浮かべたオジサンは、心で「希望の轍」を熱唱しながら辻堂駅へと帰って行きました。

たまには乗り過ごすのも悪くない(^^)


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今日のビタミンを見つけなきゃ

離婚して以来ずっと、「なるべくなら」と心がけていることがある。
それは一日の中で一つ、ホントに一つだけでいいので「イイことを見つけて笑顔になろう」という事だ。

なぜそんなことをしているかというと、ネガティブな発想パターンが癖になってしまうのがコワイからだ。
例えば今日はこんな一日だった。

朝、土曜日だけど出勤。
いつもより少し遅目に自宅を出て、駅への道を歩いていたら東京行きの電車が僕を追い越していく。毎朝の風景だ。駅について改札を通りながら次の発車時間を電光掲示板で確認すると「9時49分」だ。

9時49分…今、何時?…9時32分…?
…えーっ?! 17分も後なの?

どうも最悪のタイミングで出てきてしまったらしい。時刻表を見ると、その後はずっと5分間隔で運行するのに、その時間だけ20分近く間隔が空いているのだ。
しかも次に来る電車は10両編成。通常よりも5両短い。
ということは土曜であってもメチャメチャ混んでいるということだ。あと5分早く出ていれば、さっき僕を追い越していった電車に乗れたのに(T_T)
僕はうんざりして駅から出て、セブンイレブンで100円コーヒーを買って混んでる次の電車まで時間を潰すしかなかった。

予定より30分近く遅れたが何とか出社して、仕事の準備にかかる。基本的に土曜は会社はお休みなので、社内には誰もいない。
まずは訪問先の資料を出す。
日々の業務に使用する書類はロッカーに入っており、鍵がかかっている。いつもどおりキーケースを開き鍵を出そうと思ったら…鍵がない。

まただ。
時々、鍵を使った誰かがポケットに入れてしまったまま忘れてしまい、この場から持ち去ってしまうのだ。一体誰が持っているのかさっぱりわからない。勤め先の恥を晒すようだが、こういうトラブルが起きた時の連絡先とかも用意されていない。結局のところ本人が気づいて鍵を戻さない限りどうしようもない。ひどい話だ。

がっかりして「これじゃ仕事にならんなあ」とため息をつき、昨日自分の机に置き忘れていったメガネをかけようとしたのだが、今度はそのメガネがない。
いやいや、間違いなく昨日ここへ忘れたのだ。帰りの電車の中で気付き、もう遅いし取りに帰る気も失せて「明日でいいや」と思っていたのだが、まさかの紛失をしている。
「おいおい、私物だぜ。誰が持ってったんだよ」と少しイラッとしてあちこち探してみるが見つからない。膝をついて机の下とかも覗きこんだが無い。

仕方がない。
メガネのことは来週にでもみんなに聞いてみようと思い、とりあえず資料がなくても訪問できる顧客のところへ行こうと思い、先日走行中にヘッドライトが突然切れて、その修理から戻ったばかりの「クミコ」を車庫から出して客先へ向かった。

今日は何をやってもダメだな、と思ったのは顧客の家へ向かう一方通行の道路が突然の電話工事で通行止めになっているのを見た時だ。この道は昨日も通っていて、昨日は普通に通れたし何の告知もされてなかったじゃないか、と車内で怒ってみたけど通れないものは通れない。かなり遠いパーキングに車を置き、テクテクと徒歩で向かうしか無かった。

とまあ、こんな感じで、今日はまさにアンラッキーてんこ盛り、大当たりの1日だったワケですよ(-_-)当然イライラするし、ひとつひとつが起きるたびに「何なんだ、今日は」と顔つきも険しくなり、眉間にはタテ皺が刻まれる。誰かれ構わず当たり散らしたい気分だけど誰もいない。せいぜい「クミコ」の車内で「あーもう!」とひとり怒鳴り散らすくらい。

このまま今日を終わってしまうと、ホントに残念な一日ということになるだけでなく、何かをしようとするたびに「どうせうまくいかない」というマイナス思考を翌日に持ち越しかねない。この悪循環を断ち切らないといけないのだ。

離婚する前は家に帰ると子供たちがいて、彼らとわずかな時間でも話せばかなり気持ちの入れ替えはできた。でも今はそれができない。とすると、何もしなければどんどんネガティブの袋小路に入っていってしまいかねないし、実際にそうなりかけたことも何度もある。

たとえ小さくても幸せな時間を実感することが人間には必要だとよく思う。そしてオジサンが独りで生きていく上で、そういう時間は待っていてもそうそうやってきてはくれない。自分で探して自分で笑顔にする努力が必要なのだ。自分が自分らしさを失わずに生きていくために。

そんな風に主体的に生きようとしていれば、自然と笑顔になれる「小さなシアワセ」は、けっこうあるものデス。

ということで、今日出会えた「小さなシアワセ」

帰りの電車の中。
途中駅で電車が停まり、どっと乗客が降りる。
僕はドアの近くで立っていたのだけど、目の前の席が空いたので「ラッキーじゃないか♪」と座ろうとしたのだが、すぐ側の手すりにつかまっていたおばあさんがトコトコとその席に向かっているのを見て譲ることにした。
おばあさんは「ありがとねえ」と何度も頭を僕に下げながら、ヨッコラショと座席に腰を下ろした。別に座っていた席を立って譲ったわけではないのだが、こうやって感謝されるとこちらも何だかウレシイ。
これで今日の嫌なアレコレもチャラにしようと、自分で自分に「よしよし」と思いながら電車の揺れに体を任せていた。

腰を落ち着けたおばあさんはニコニコしながら手にしていたカバンを開き、新聞の包みやらビニール袋やら水筒やらが見え隠れする混沌の中から、苦労して細い筒を引っ張りだした。
それはマーブルチョコレートのケースだった。

マーブルチョコ?
おばあさんは続いてマーブルチョコのフタをスポンと開ける。おばあさん、チョコ好きなのかと思って見ていると、ケースを振ってシワシワの手のひらに出てきたのは「塩キャラメル」(と包みに書いてある)

マーブルチョコから塩キャラメル?
唖然と見ている僕の前でおばあさんは何度かマーブルのケースを振っていたが、出てきたのはその1個だけ。
「あら、一個しか残ってなかったよ」といいつつ、「これお食べな」と僕にその塩キャラメルが乗った手のひらを突き出す。

「え?」と、ちょっとフイを突かれてリアクションできずにいると、
「いいからお食べな」とニコニコしながら言われ、
「ああ…ありがとね」と僕はキャラメルを受け取った。

おばあさんは空になったマーブルチョコのケースをまた大事そうにカバンにしまい、僕はせっかくもらったのだしと思い、包みを解いてキャラメルを口に入れる。懐かしい甘さが口の中に広がって、「オイシイね」とおばあさんに言うと、おばあさんはちんまりと座席に座りながら、おちょぼ口でニコニコと笑っていた。

「小さなシアワセ」は小さいけれど心のビタミンだ。
心がホントの年齢よりも早くに歳をとってしまわないよう、明日も「笑顔の素」を見つけないとね(^^)

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小うるさくてスンマソン(-_-;)

先日に続き鉄道のアナウンスの話です。
今日の舞台は東横線。
関東以外の方のために、東横線とは渋谷と横浜(元町・中華街)を結ぶ東急電鉄の路線です。

最近この東横線に乗ると必ず聞かされるアナウンス(「東急電鉄からお客様へのお願い」として流れる)が2つあり、その内容がいつも気になっている。
どちらも駅間を走行中に唐突に流れてくる。

車内放送①
「東急電鉄からお客様へのお願いです。最近車両に対するイタズラが発生しています。このような行為を見かけたら係員へお知らせください。お客様のご協力をお願いします。」

車内放送②
「東急電鉄からお客様へのお願いです。歩行中の携帯・スマホの操作は大変危険です。お客様ご自身が思わぬ怪我をしたり、周りのお客様に怪我をさせたりすることがありますので、十分ご注意ください。」

どうでしょうか?
別に何も感じない人もいるかもしれないし、それならそれで何も問題ないのだが、僕はこれらを聞くたびにまるで奥歯に物が挟まったような違和感というか、すっきりしない印象を受けてしまうのだ。ただの小うるさいオジサンなのかもしれない(-_-;)

何がそんなに気になるのか。
まず①の放送だが、これを聞いてまず思うのが「イタズラって何?」という疑問だ。
「イタズラはイタズラだよ。全部ひっくるめて」と言われるかもしれないし、まあそうなのかもしれないが、それって説明としてちょっと大雑把すぎて、例えば乗客に「危ないことはしないでください」とアナウンスしているようなものだと思うのですよ。
実際には「危ないこと」ではなくて、「駆け込み乗車はお止めください」とか、「黄色い点字プレートの内側へお下がりください」とか、求めている内容が乗客に具体的なイメージで伝わるように言うじゃないですか。

車内での携帯の使用ルールのアナウンスだって徹底的に細かいですよね。
・優先席付近では電源off
・それ以外ではマナーモードに設定
・通話はダメよ
何をどうして欲しいのか、何がダメなのか、誤解なく伝わるじゃないですか。

「イタズラを見かけたら教えて欲しい」というのも、このままでは何がイタズラなのか乗客の主観に任されることになってしまい、東急が本当に困っているイタズラ(そんなに何種類もあるとは思えないのだ)を減らすことに、ちゃんと繋がるのか疑問だ。
例えば「車両への落書きや、車内広告を破るなどのイタズラを見かけたらお知らせください」とか、ストレートに言えばいいのにと思うのです。

②についてはもっとシンプルです。
最近テレビや街のあちこちの掲示とかでも伝えられている内容で、「スマホ見ながら」が原因で事故になったりトラブルになったりもしてるから、東急でも乗客への啓蒙活動としてやっているのだろうと思います。

であれば、なぜ「十分ご注意ください」なのだろう、と最後の一言で思ってしまう。
「自分が怪我をするかもだけでなく、周囲に迷惑をかけるかもしれない行為だよ」→「だから注意してやってね」じゃなくて「お止めください」でいいじゃないよと普通に思うのだが変なのかな??
車内での携帯の通話はダメ!と言い切っているのだから、これだってそう言えばいいのにと思います。というか言わなければやめないよ、みんな。

①②とも、ホントに伝えたいことがわざわざボカされているような気がします。。まあ東急さんなりの基準があるのだろうけど、どうにも気持ちが悪いというお話でしたm(__)m

今日は新聞の投書欄みたいでしたね。

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