明日 風になろう

地味で真面目で、時々おいしそうだなあって思われたいブログです。

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「流星ワゴン」に乗れたら、僕は人生の何をやり直すのだろう

読書ノート、今年は早くも3回目です。去年は年間通して5回しか無かったのに。
今年は年始から結構なペースで本読みを続けているので、去年より紹介したい作品があれこれ出てきます。

今回ご紹介するのは、直木賞作家の重松清氏の「流星ワゴン」
めちゃめちゃ感動する一冊だとネットで評判で、それならば泣かせてもらいましょうと手に取りました。



これって今、テレビドラマが放映されているんですよね。
図書館に貸し出し予約して2か月くらい待って、ようやく順番が回ってきたと思ったら偶然にも同じタイミングでドラマが始まった。
といっても例によって僕はテレビのほうは一度も見ていないので、比較もできないのですが。

ドラマも数回放送されているようなので、ある程度はストーリーが知られていることを前提に、まずはカンタンなあらすじです。

主人公の永田一雄は38歳。
彼は今、人生で最悪の時を迎えていた。

息子の広樹は中学受験に失敗し、やむなく通った公立中学でいじめにあって登校拒否になり、ついには家庭内暴力を振るうようになっていた。
妻の美代子からは離婚を突き付けられていた。
ずっと以前から断絶状態が続いている郷里の父・忠雄は、末期がんに侵され余命いくばくもないのだが、親子の確執はそのままだ。
そして一雄自身も会社からリストラにあい、数か月先に職を失うことが確定している。

もう死んでしまってもいいかなと思いながら駅のベンチで座り込んでいると、一台のワゴン、オデッセイが一雄の前に停まる。ワゴンに乗っていたのは5年前に事故で亡くなった橋本さんとその息子の健太。一雄はワゴンに乗せられ、橋本親子に「大切な場所」に連れていくと言われ、タイムマシンのように過去の世界へと導かれる。

そこは一年前の自分が生きた世界、妻の浮気現場にニアミスしたのに、何もしないでやり過ごした場所だった。一雄の人生の中でのひとつのターニングポイント。そこでの選択をやり直して違う未来を作るべく、一雄は戻ってきたのだ。

その「やり直しの世界」において、一雄は自分と同い年で現れる父・忠雄と出会う。現実の世界では決して折り合わず、憎み合ってさえいた父と子だが、同い年の父・忠雄は自分と一雄はここでは「朋輩」だと言い、父ではなく「チュウさん」と呼ぶよう求める。

「やり直しの世界」において何とかして未来を変えたいと願う一雄だが、現実には大きな変化が見られることはない。しかしその中で自分が息子や妻に、あの時言わなければいけなかったことを何とかして伝えようと、必死で運命と格闘する。

また父である「チュウさん」との間でも、現実の世界では一切なかった言葉を交わすことで、父が遠いあの日から今日まで、何を思って自分に接していたのかを徐々に知ることになる。

一雄は過去のあの日、どうしたらいいのかもわからずに壊れるに任せてしまっていた家族の絆を、自分を犠牲にしても守ろうと決心する。そしてその結果の世界は…。


男の子の父親で離婚経験者の僕としては、相当身につまされる作品だった。

人生の中でいくつもある「ターニングポイント」、そこですべきことをしなかった、言うべきことを言わなかった。そんな後悔を人はどのくらい抱えているのだろう。中にはそれに気づきすらせずに通り過ぎてしまったものもあるのではないか。

心の中ではいろいろなことを思いながら、結局は口にせず終わってしまうあれこれ。その結果として選択しなかった道とその未来。
言ってみないと、やってみないとわからないはずなのに、自分の中だけで答えを出してしまい、現実と向き合うのを避けていることに気付かない。

夫婦の間もそうだし、親子、特に男親と息子の間は「すれ違い」の連続だ。父親は息子のことを「理解している」つもりだし、息子はそんな父に対して「言っても仕方がない」とあきらめている。
話せばもしかしたら伝わるかもしれないのに、それをしないで距離が広がるばかりの父子がどれだけ多くいることか。

日本の男性には多いパターンなのかもしれない。僕なんかまさにその典型だったと思うし、後悔なんか山のようにある。書き出したら一大リストができてしまうかもしれない。

この本を読んで僕が感じたのは、今現在や過去の選択はどうしたって変えられない。どんなに後悔しても決して「もう一度」の選択の変更はないのだ。
でも未来は変えられる。これから作る未来は自分次第だし、もし過去の後悔があるのなら、同じ轍を踏まないように生きることはできるはずだという教訓だ。

そういう意味ではとても勇気づけられた作品だったけど、実は前評判ほどは泣けなかった。かなり自分自身に思い当たるあれこれが多くて、幾分暗い気持ちにさえさせられてしまった。

ただ、一か所だけ涙が止まらなかったところが僕にもあった。
それは物語の終わり近く。
過去への旅を終えて、あえて「サイテーでサイアクの現実」に一雄が戻っていく瞬間。父である「チュウさん」が最後に思わず発した言葉。

それは書きません。
別になんてことのない言葉です。でも僕はそれを読んで、「チュウさん」が父として息子に最後に伝えることが間に合わなかった一言を思い、泣いてしまいました。
「やり直し」をしていたのは、一雄だけではなかったのです。

男の子を持つ日本の父親は、一度は読んでみてもいいかなあと思います。自分がどれだけ息子のことを理解しているのか、それともいないのか。
息子がそばにいるうちに知っておくのは、とても意味のあることだと思うのです。

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私はどこへ

読書ノートです。
2004年に発表された荻原浩の長編「明日の記憶」
とても感動的なストーリーでありながらも、かつ救いを求めたくなる一冊でした。
2006年に渡辺謙主演で映画化されたのでご覧になった方もいるかもしれません。

50歳になったばかりの佐伯は、広告代理店の営業部長。
最近物忘れがひどくなってきていて、心配した妻の枝実子の勧めもあって病院で検査を受けた。
診断の結果、宣告されたのは「若年性アルツハイマー」
大きな仕事を抱え、プライベートでは一人娘の結婚式を間近に控える中で、とても信じられない病名だった。

しかし日に日に佐伯は自分の記憶がおぼつかなくなっていくのを自覚させられていく。顧客の名前、部下の名前、何度も通ったはずの道すら突如として思い出せなくある。まるで頭から砂がこぼれおちていくかのように、積み重ねた記憶が失われていく。

会社には自分の病名を隠しつつ、仕事に影響が出ないように徹底的にメモを取り、妻にも食事面などで協力してもらいながら何とかして進行を遅らせようと必死に抵抗する佐伯。

だが、病気は確実に彼の脳をむしばみ、遂には会社にも病名が知れ渡ってしまう。佐伯はせめて娘の結婚式までは何とか自分を維持しようと必死に病気と戦う。

そして式の当日。無事に娘を嫁がせた佐伯は、式場のトイレで自分の頭の中で何かが切れる「ぷつん」という音を確かに聞き、その場で倒れてしまう。


久しぶりに感情移入して読んだ一冊たった。主人公の年齢が自分と同じということもあるし、一人称で語られるからこそ生々しく感じられる若年性アルツハイマーという病気の進捗が我がことのように迫ってくるのを感じた。

消えて行く記憶。
それは何十年もかけて積み重ねてきた自分の歴史が、目の前でぼろぼろと崩れ落ちていくのを見ているようなものだ。そして自分が壊れていくことを自分自身で自覚しながら病気と付き合っていくことの恐ろしさを圧倒的に感じさせる。今日の自分はもはや昨日の自分ではなく、明日の自分がどうなっているのかは想像もつかない。

仕事仲間や顧客の顔、名前を忘れていくことにおののいているうちはまだいい。
やがては愛する娘の顔を思い出せなくなる。そして何十年も連れ添ってきてくれた妻のことさえ忘却の彼方へ消え去っていく日が来ることを、ただ黙って待つしかない無力感。

自分を失っていく過程において、自分が自分であったことを何とかして残しておきたい、主人公のその必死な思いに胸を打たれる。
人が人であるためには周囲との関わりが欠かせない。人の歴史はその人が周りとどのように関わってきたかの歴史に他ならない。自分が壊れて失われていく過程において、周囲との関わりも形を失っていく現実がやりきれない。

物語は徐々に記憶を失っていく主人公の独白として語られているが、読み進むにつれて考えさせられるのは残される妻の思いだ。
女性はこの物語をどのように読むのだろう。
夫と共に病気と闘いながら、でもその夫がやがて自分のことを忘れてしまう日が来るのを日一日と待ち続ける日々。そしてついに訪れるその日。これから何十年も続く孤独な介護の日々。それを女性はどう受け止めるのだろう。

物語はそれについては掘り下げていない。まるで美しい一枚の絵を見るようなラストシーンはとても感動的だけど、ここで終わっていいのだろうかというのが正直な感想でもある。
夫の抜け殻になってしまう一人の男と、この先ずっと暮らしていくという現実。それは記憶を失うもの以上に厳しい未来ではないのか。

そういう意味でこの物語には大きなもう一つのテーマがあるのだろう。これからの超高齢化社会で僕らが否応なしに向き合わなければならない現実に、どう対応していくのかを当事者として考えさせられた一冊です。

でも初版から10年。まだ答えは出ていないのかな。

 


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パラレル人生のススメ

風邪でずっと寝ていた正月は、同時に読書にどっぷり浸かった日々でもあった。もちろん体調が定期的に下降して熱にうなされているときは大人しく寝ているのだが、同様に定期的に回復して熱が下がりスッキリしている時間もあって、そういう時はベッドに起き上がって本を読んでいた。

そういう生活が約1週間続いたのだから、かなりまとまった時間を読書にあてることができて、結果として分厚いハードカバーを含めて5冊の本を読みきった。そういう意味では、風邪はひいたが悪くない正月の過ごし方ができたと思う。

それ以降、ずっと本を読み続ける毎日になっていて、通勤時や寝る前はもちろん、昼の休憩時間とか、休日の午後とか、常に何か読んでいる日々になっている。かつ1冊ずつ順番に読んでいくのではなく、何冊かをまとめて読むのがカラダにあっている。

もともと僕は何冊か(何種類かという方がいいかも)の本を同時進行で読んでいくタイプで、本を買ったり借りたりするときもそれを前提に選んでいる。(ほとんど図書館で借りていて、あんまり買うことはないけど)
カバンの中にはだいたい2冊の本が入っているし、帰ってきて読む本はまた別、というのが普通だ。

サスペンスやミステリーものは通勤時間向きだ。駅で降りるときに「続きを読みたい」と思って降りることが多いので、帰りの電車、あるいは翌日の朝の電車で自然と本を取り出して、切れ間なく続きを読み続けることができる。これを自宅で読むと切り上げどころが分からなくなってしまう。オジサンもそれなりに自宅でやらなきゃいけないことがあるので、どっぷり本にハマってしまうとそれはそれで具合が悪かったりするのだ。

寝る前にベッドで読むのはエッセイが多い。
エッセイのいいところは、一編が短いので眠くなった時に区切りをつけやすい。あとは4コマのマンガとかも悪くない。マンガも選んで読むと秀逸なモノもあるのですよ。
寝る前の時間以外に自宅ではあまり本は読まない。昔ベッドでミステリーを読んでいて目が冴えてしまい、朝までずっと読み続けてしまったということがよくあったので、最近はやらないようにしている。

休日によく読むのは、2回目とか3回目とかになる本だ。内容については過去に読んでいるので知っているが、改めて読むことで以前は気づかなかった行間のあれこれを発見したり味わえたりするので、繰り返して読むという読み方が好きなのだ。逆に言うと僕レベルの読書力では、なかなか1度読んだだけでその本の良さを全て味わいつくすことなどできないということですね。

休日はまとまった時間を読書に当てられるので、お店でお茶しながら(まあお茶じゃないモノを飲んでる方が多いけど)読んだり、暖かい時期は海岸に出かけてお茶しながら(同上)読んだりして、なかなか悪くない時間の過ごし方をしている。

多くの人にとって本を読む楽しさは、やはり登場人物と一緒の視点に立って、別の人生を体験できるドキドキ感なのではないだろうか。僕もまさしくそうで、面白い本であればあるほど登場人物の見ている情景が頭の中で映像となって流れている。
一度に何冊かの本を一緒に読んでいくというのは、何種類かの人生をパラレル(同時進行)に体験しているようなもので、読んでいる本ごとにアタマを切り替えながらそれぞれに合わせていくのが密かに楽しかったりする。

今年はこのまま読書にハマって過ごすのもいいかなあと、テーブルに積まれたジャンルバラバラの本たちを見ながら思っております。
では、一冊持ってベッドに入ろう(^^)

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