明日 風になろう

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大晦日に考えた父のこと

ここ何年か年末の帰省はパスしてきたのだが、今年あえて戻ってきたのは、以前記事にも書いたが父がこの秋に癌の摘出手術を受け、術後の経過は悪くないものの、家族全体が何かと心細いということもあり、正月を共に過ごすことにしたのだ。

父はちょっと見は手術前と何も変わらず、もともとじっとしていないタイプで、今もひとりで車に乗って出かけたりして、それなりに元気な毎日を送っているらしい。
ただやはり前と比べると疲れやすくなっていて、少し動くとゼエゼエと大きな息を付いていて、やはりカラダには嘘は付けないものと本人も感じているようだ。

親の老いを実感するのって、今更ながらショックな体験だなあと思う。前述のとおり、これまではかなりの高齢にもかかわらず、ほとんど介護の必要も無かったので、あまり親の身体のことを具体的に考えたことはなかった。
昨日、僕の隣りに座って食事をとっていた父が、ふいに立ち上がるのに手を貸してくれと僕に言い、僕は手を伸ばしてそれを助けた。その時、父の体重のあまりの軽さと、立ち上がった父の身長が僕の肩までしかないという事実に、思いの外ショックを受けた。

それはなんというか、これまで長い間の親のそういった変化に全く気を使ってこなかった自分自身への責めにも似た、強い後悔の混じる感情だった。僕は「もう大丈夫」という父の手を離さずにに一緒に歩いた。

歩きながら僕はもう一つ別の感情にも戸惑っていた。それは僕は父に対してもっと素直に尊敬の念を示してくるべきではなかったかという思いだ。
なぜ突然そんなことを思ったのか。
僕は事業に失敗したり離婚して家族を失ったりして、それでも何とか巻き返そうとがむしゃらに生きてきたつもりだ。だがその過程において、僕は父に何も相談したことがない。そんな経験したこともないことを相談してもしかたがないと思っていたのだ。

でもよくよく考えれば僕が失敗してしまった人生を、父は80年もの間ブレなく舵取りをして、確かな幸せを家族に与えてきたのだ。これまで僕ができずにいることをやり遂げてきた父に、僕はムダな意地を張らず、もっと謙虚にアドバイスを請うべきだったのだ。

この思いは今日突然考えたのではなく、これまでも折に触れ思っていたことだけど、あまり突き詰めずに目をそらしてきたのだ。
小さくしぼんでしまった父の身体を感じながら、一方で未だに越えることが出来ない父の大きさを思い知らされた気もして、長い時間を無駄に過ごしてしまったという思いがしたものだった、

離れ離れで生活をしている以上、今後も親の体調の変化にタイムリーに反応するのはラクじゃない。ただ、離れていても心はいつも寄り添っていることを伝えられたら、もっと心穏やかな毎日を送ってもらえるのではないか。そしてそんな思いを届けることは、子である僕の義務なのではないかと、静かな大晦日の夜に思った。

今年一年、「明日 風になろう」をかわいがっていただき、ありがとうございました。
どうぞ新年もよろしくお願い致しますm(__)m

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