明日 風になろう

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闘い続けた男へのレクイエム

半年ほど前だろうか。

たまたま点いていたテレビで、元中日ドラゴンズ・阪神タイガースでプレーした大豊泰昭氏が、プロ野球を引退後に名古屋と岐阜で中華料理店を経営し、かつ急性骨髄性白血病という大病と戦っているという番組を見た。

僕はそれほどプロ野球を見る人間ではないので、大豊という選手のことは知っていたが、引退したことも中華料理店を経営していることも、ましてや大きな病気と戦っていることも知らなくて、その番組を見てとても驚いたのを覚えている。

それほどプロ野球を見ない僕がなぜ大豊選手を知っていたか、それは彼が一本足打法の打者だったからだ。僕らの世代にとって一本足打法といえば言うまでもなく王貞治である。

ちゃんと野球をやり始めた頃の僕のヒーローは、その時点ですでに引退してしまっていた長島ではなく王だった。彼の756号のホームランに日本中が歓喜した時、僕も多くの他の子供達と同じように野球を自分の人生の中心に据えた記憶がある。
その王の一本足打法を、本格的に自分の打法として取り入れていたのが大豊だった。

彼は台湾出身の野球選手で、王を尊敬し憧れて日本球界へ来た。
名古屋の大学を経て中日に入団して、4年目のシーズン後に臨時コーチとしてキャンプへ来た張本勲氏に勧められて一本足打法を始める。当時はそれが話題となりテレビでも報道されたが、僕は一本足打法は王だけのモノと勝手に思い込んでいたのであまりいい気持ちはしなかった。
王貞治で育ってきた世代の多くは僕と同じような考えを持つ人が多く、所詮モノマネだよと大豊は冷ややかな目で見られていたのでは無かっただろうか。

だが、翌年5年目のシーズンに、大豊は一本足打法で自己最多の25本塁打を放ち、翌年には38本塁打と107打点で二冠王に輝く。一本足打法が見事に開花したのだ。そのころには多くの人が王の打法を正当に引き継いだ選手として認めていたような気がする。

しかしいつの間にかその名を聞かなくなり、でもそんなことはプロ野球では珍しくも無いことで、いつしか忘れてしまっていたのだが、冒頭に書いたとおり新たな人生を歩む中で白血病という恐ろしい病気に見舞われていたことをつい最近まで知らずにいた。プロでバリバリ活躍していた人が白血病?しかも僕と変わらない年齢で。とても信じられないという驚きの気持ちだった。

あのテレビの番組では病と闘いながらも、最近はいくらか回復もしてきたという状況で、今後も自分は諦めずに闘っていくというコメントを表明していたのではなかったか。

しかし昨日、18日午後10時41分、大豊氏は急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で帰らぬ人となった。享年51歳。僕と一つしか違わない若さだ。その年齢と、テレビで見た「必ず回復する」という強い意志の表情が記憶にあったためもあってか、僕にはとても大きなショックだった。

経営する中華料理店は、昨年秋から営業をスタッフに任せて自身は療養に専念することを決断したという。その際に自身のブログにお客様へのメッセージとして、彼は以下のコメントを掲載した。

「昨年、白血病が再々発して以降、私の身体の中がGVHDという状態となり、急速に体力低下、歩行困難などの症状に悩まされ、満足いく仕事をすることができなくなりました。悩んだ末、10月末日をもって大豊は白血病の治療と療養に専念させていただくことに致しました。」

更にメッセージは続く。

「大豊泰昭はこの病気を克服し、またみなさまに再会できるよう強い意志で病気と闘います。その時は、1番の笑顔で店に立ち、夢の続きをみなさまと一緒に見たいと思います。大豊の運勢と生命力をかけて、必ず復活します。また、逢いましょう。野球人 大豊泰昭」

僕には何もコメントできない。
最後の最後まで復活を諦めなかった彼に敬意を表するのみだ。

どうぞ安らかにお休み下さい。

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