明日 風になろう

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私はどこへ

読書ノートです。
2004年に発表された荻原浩の長編「明日の記憶」
とても感動的なストーリーでありながらも、かつ救いを求めたくなる一冊でした。
2006年に渡辺謙主演で映画化されたのでご覧になった方もいるかもしれません。

50歳になったばかりの佐伯は、広告代理店の営業部長。
最近物忘れがひどくなってきていて、心配した妻の枝実子の勧めもあって病院で検査を受けた。
診断の結果、宣告されたのは「若年性アルツハイマー」
大きな仕事を抱え、プライベートでは一人娘の結婚式を間近に控える中で、とても信じられない病名だった。

しかし日に日に佐伯は自分の記憶がおぼつかなくなっていくのを自覚させられていく。顧客の名前、部下の名前、何度も通ったはずの道すら突如として思い出せなくある。まるで頭から砂がこぼれおちていくかのように、積み重ねた記憶が失われていく。

会社には自分の病名を隠しつつ、仕事に影響が出ないように徹底的にメモを取り、妻にも食事面などで協力してもらいながら何とかして進行を遅らせようと必死に抵抗する佐伯。

だが、病気は確実に彼の脳をむしばみ、遂には会社にも病名が知れ渡ってしまう。佐伯はせめて娘の結婚式までは何とか自分を維持しようと必死に病気と戦う。

そして式の当日。無事に娘を嫁がせた佐伯は、式場のトイレで自分の頭の中で何かが切れる「ぷつん」という音を確かに聞き、その場で倒れてしまう。


久しぶりに感情移入して読んだ一冊たった。主人公の年齢が自分と同じということもあるし、一人称で語られるからこそ生々しく感じられる若年性アルツハイマーという病気の進捗が我がことのように迫ってくるのを感じた。

消えて行く記憶。
それは何十年もかけて積み重ねてきた自分の歴史が、目の前でぼろぼろと崩れ落ちていくのを見ているようなものだ。そして自分が壊れていくことを自分自身で自覚しながら病気と付き合っていくことの恐ろしさを圧倒的に感じさせる。今日の自分はもはや昨日の自分ではなく、明日の自分がどうなっているのかは想像もつかない。

仕事仲間や顧客の顔、名前を忘れていくことにおののいているうちはまだいい。
やがては愛する娘の顔を思い出せなくなる。そして何十年も連れ添ってきてくれた妻のことさえ忘却の彼方へ消え去っていく日が来ることを、ただ黙って待つしかない無力感。

自分を失っていく過程において、自分が自分であったことを何とかして残しておきたい、主人公のその必死な思いに胸を打たれる。
人が人であるためには周囲との関わりが欠かせない。人の歴史はその人が周りとどのように関わってきたかの歴史に他ならない。自分が壊れて失われていく過程において、周囲との関わりも形を失っていく現実がやりきれない。

物語は徐々に記憶を失っていく主人公の独白として語られているが、読み進むにつれて考えさせられるのは残される妻の思いだ。
女性はこの物語をどのように読むのだろう。
夫と共に病気と闘いながら、でもその夫がやがて自分のことを忘れてしまう日が来るのを日一日と待ち続ける日々。そしてついに訪れるその日。これから何十年も続く孤独な介護の日々。それを女性はどう受け止めるのだろう。

物語はそれについては掘り下げていない。まるで美しい一枚の絵を見るようなラストシーンはとても感動的だけど、ここで終わっていいのだろうかというのが正直な感想でもある。
夫の抜け殻になってしまう一人の男と、この先ずっと暮らしていくという現実。それは記憶を失うもの以上に厳しい未来ではないのか。

そういう意味でこの物語には大きなもう一つのテーマがあるのだろう。これからの超高齢化社会で僕らが否応なしに向き合わなければならない現実に、どう対応していくのかを当事者として考えさせられた一冊です。

でも初版から10年。まだ答えは出ていないのかな。

 


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