明日 風になろう

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白鵬「乱心」発言の真相を想像する

大鵬を上回る歴代単独最多の33回目優勝を果たした白鵬の「場外乱闘」的発言が問題になっていますね。
何を言っているかというと、初場所13日目の対稀勢の里戦での判定。
白鵬が土俵際で寄り切ろうとした際に稀勢の里は小手投げで返し、二人は組み合ったままほぼ同時に土俵に倒れた。微妙な相撲だったが勝負審判の判断は「取り直し」

この判定に対して白鵬が、
「家に帰ってビデオを見たら、子供でも分かることだった。なぜ取り直しになったのか。勝ったからよかったけどもっと緊張感を持って、こんなことが二度と無いようにしてほしい。」
とコメントしたのだ。

横綱が公然と判定を批判するという前例のない出来事に、日本相撲協会は激怒して親方経由で厳重に白鵬に注意したとのことだ。

ネットのあちこちの報道を見ると、かなりの白鵬叩きのトーンの内容で、横綱にとっては具合が悪い展開になっているようだ。

まず、発言をした状況がまずかった。
前日(千秋楽の日)明け方まで祝宴があったようで、記者会見に1時間遅刻して登場しての「子供でも分かる」発言は、待っていた記者にとってみれば「二日酔いでその言い方は何様だ」という印象になったのかもしれない。

かつそのあとで口にしたのが「肌の色は関係ない。土俵に上がってまげを結っているなら日本の魂。みんな同じ人間です」という発言。これがあたかも誤審の裏に日本人の稀勢の里を勝たせたい人種差別があると言っているかのような報道になっている。

以前から「相撲が乱暴」とか「懸賞金を受け取るしぐさが良くない」とかいろいろと批判されてはいたが、今回の発言に対する各報道を見ていると何というか感情的なものが多い気がする。

・明け方まで酒飲んで二日酔い会見で審判批判
・かつて大鵬は誤審で連勝が止まったが「物言いがつく相撲をした自分が悪い」と言った。白鵬は大鵬を尊敬していると言いながらこのエピソードを知らないのか。
・強ければ何をしてもいいと勘違いしているなら横綱失格。
 (日刊ゲンダイ)

・大偉業が台無しになる横綱の「乱心」
・「慢心」発言に協会激怒
・横綱としての「品格」が問われる大暴走
 (iZA)

・いま発言する理由は?あまりにも残念
・審判は先輩である元力士の親方衆が務めているのに「子供でも分かる」は言いすぎ。
 (産経新聞)

などなど。

これらの記事の前提になっているのは、

・相撲の最終的な判定は土俵下にいる5人の審判の判断が最優先。
・ビデオ判定も導入されているがあくまで参考資料。
・つまり審判の下した判定は絶対。

という判定の大原則であり、それにもかかわらず

・先輩方の判定に反論するなどおかしい。
・しかも酔った勢いで言い放つなど論外。
・自分がモンゴル人で差別されているからという理由まで匂わせるのはお門違い。

というのが報道共通のスタンスだろうか。

僕は白鵬という力士がどういう人物なのか全然知らないので、彼がどういう意思で発言したのかは想像のしようもないのだけど、逆に先入観なしでこれらの記事を見ると、何となくの違和感を感じずにはいられなかった。

まず勝負の世界に生きるアスリートが「正しい判定をしろ」と厳しく要望することは当然ではないのかというのがシンプルな第一印象だ。
「子供でも分かる」とか、言い方の問題はあるのかもしれないが、本人も言っているように「こっちは命をかけてやっている」のだから、その結果に少しでも納得できないところがあれば、プロとして絶対に受け入れることはできないだろう。

勝つために生きている存在なのだから、間違いなく自分が勝っていると思えばそれを主張するし、しない方がおかしい。それを「すべきではない」的な話に持っていくのは、そもそも変だと思うのだ。「審判の判定は無条件に尊重して受け入れるのがスポーツマンシップ」という考え方は、一般論としては否定しないが、プロスポーツにおいてはきれいごとだけで物事は進まないだろう。

「先輩である元力士」が判定していようとプロであれば言うべきことは言うのが当たり前で、それを「慢心」としたり「品格が問われる」などと評するのは、「相撲」というスポーツが他のスポーツでは当たり前のことを未だに封じ込めているスポーツなのかという感想さえ持ってしまう。親方衆の中には、白鵬に対して「国技を何だと思っているんだ」と怒り狂ったという報道も見たけど、この発言の方にこそ違和感を覚える。

例えばテニスなどには「ホークアイ(鷹の目)」というシステムが2006年から導入されている。これはミサイル誘導システムを応用した技術で、コートの周囲に10台のカメラを設置して、ボールの軌跡を瞬時に解析して判定に役立てるものだ。選手は審判の微妙な判定に対して、1セットにつき3回までビデオ判定を要求できて、誤審の場合は判定は覆る。

バレーボールでも「チャレンジシステム」というビデオ判定がつい最近導入され、審判の判定に対して1セットに2回までビデオを確認して再ジャッジするように要求できる。

どちらも大前提では判定は人間が審判するものであり、思想として決して人間の判定を軽んじるものではない。
ただ人間は間違いも犯すことを前提に、競技するアスリートのために、公平な判断基準をより多く持つという立ち位置で導入されているものだと理解している。つまり最も大切にされているのはアスリートなのだ。
今回の白鵬に対する報道や相撲協会の親方衆のコメントを見ると、相撲というスポーツ、ひいては相撲協会という組織が最重視されているように見えて、そもそもの立ち位置の大きな違いを感じざるをえない。

産経新聞が「いま発言する理由は?」と記事で書いているが、もしかしたら本当にいま発言した理由が白鵬にはあるのではないかという気もした。それは、名実ともに史上最強の横綱になった今だからこそ、角界の第一人者として、角界を変えるために必要と思う発言もこれからはしていくという決意があったのではというものだ。

「酔った勢いでの暴言」という報道もあるが、そうでないなら今後も白鵬はさまざまなシーンで彼の価値観に基づく「暴言」を吐いていくのではないか。だとしたらそれは相撲というスポーツの頂点を極めたアスリートの視点での意見として僕らは聞くべきなのではないかとも思うのだ。相撲というスポーツの発展のために。

「国技」である相撲は、それゆえにまるで「鎖国」のような閉塞感が未だ抜け切れていない感は否めない。白鵬はモンゴル人力士であるがゆえに感じたこの世界の違和感を、歴代最多優勝という実績を打ち立てたからこそ初めて口にしたのかもしれない。

史上最強になった横綱、白鵬。
なった次の瞬間から相撲界に波紋を投げかけているが、これを単なる「思い上がりだ」と片づけてしまうのか、「国技」という居心地のいいぬるま湯にあえてかけられた「目を覚ます冷水」と受け取るか、相撲というスポーツを生んだ日本人の価値観が問われているのかもしれない。

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